プロフィール


purifying relaxation REIKI teacher

 

Junko Komiya-Baker

 

1996年、当時、原宿にあったニューエイジセンターでチャネラーとしてセッションを展開していた私は、センターの運営をしていたヴォルテックスの望月氏と共著を出版することになりました。

オーラソーマ、スリーインワンコンセプトなどと並び、私がワークショップや公演を行っていた「コズミックダンス」の始まりについて書いたのですが、そのできあがった本に掲載されていたのが「レイキ」でした。

 

レイキという音色を心地よく感じていなかった私は、まさに食わず嫌いの体をなしていて、なかなかレイキに近づくことができなかったのですが、この本の出版と並行して、レイキへの猜疑心が薄れていき、一体、それはどんなものなのか?試してみたくてしかたがなくなりました。

 

誰に伝授してもらうか?

誰に伝授してもらうか?

 

自分自身がチャネリングやコズミックダンスなどの変性意識状態で情報や波動をもとに活動そしていたのにもかかわらず、胡散臭いスピリチュアル啓蒙家やエンジェルの存在を鵜呑みにするロマンチスト、自由な解放感からは程遠い修行系のスピリチュアリストとは馬が合うわけもなく、スピリチュアルな世界で仕事をしていても、なかなか「この人こそ」という師に出会うことが叶いませんでした。

 

さて、レイキを誰に伝授してもらおうかと考えた時、カルトにはまってしまうのも嫌だし、良い子になりたい人たちのグループに入れられてしまうのも嫌なので、誰か精神的にも肉体的にも「超」の字がつくほど強くて信頼できる人はいないものかと周囲を見回しました。

 

当時、富士山の麓で行われていたネイティブアメリカン・ラコタ族の7つの聖なる儀式の一つ「スエット・ロッジ」に参加していた私は、あの熱風の吹く暗闇のイニ―ピー(テント)の中、感情的な言葉にもネガティブな叫びにも動ず、儀式を取り仕切ることができるセレモニー・リーダーであれば、全的な信頼のもとにレイキの伝授を受けることができるのではないかと考え、早速、彼女にレイキ・アトゥンメント(伝授のこと)を頼むことにしました。

 

こうしてラコタ族に認められたセレモニーリーダーの平野 恵美委さんが、私のレイキティーチャーとなり、ファーストディグリー、セカンドディグリー、サードディグリーまでを青山のご自宅に伺って伝授していただくことになったのでした。

 

ファーストディグリー&セカンドディグリー

 

最初の日に、ファーストディグリーとセカンドディグリーを午前と午後に分けて伝授していただいたのですが、このように1日に2つのディグリーを伝授されるということは臼井甕男先生の時代にはなかったことです。

最低でも1か月は時間をあけていたと、物の本に書いてありました。

伝授は、アトゥンメントと呼ばれていて、チューニングのことかと思っていましたが、アトゥンとはエジプト文明の言葉「アトゥン」と「アメン」のアトゥンにあたると、後にイギリスのレイキティーチャーとの交流から知り、そこからレイキと古代文明との関係は、深いものがあるのではないかと考えるに至りました。

仏教の世界では、この伝授のことを潅頂と呼び、現在でもダライ・ラマによるブレッシングは、レイキの伝授と同様の潅頂だと、ダライ・ラマの祝福を受けた友人が説明をしてくれました。

 

チベットから亡命し、暫定政府を作ったダライ・ラマを思えば、チベットに端を発するレイキだからこそ、もともとの潅頂を受け継いでいるのは当然だと考えられるのですが、平野 恵美委さんから伝授受けている間、不思議なビジョンが見えては消え、感じては消えていったので、そこからチベット発祥ではなく、チベットでサバイバルを果たした古代文明の末裔が、忘却のかなたに記憶を封じ込めた私たちが、時を経た未来に転生し、長期にわたって封印した能力を開き、善用できる智恵を取り戻す時のために、保持されてきたのではないかと考えるに至りました。

 

ファーストディグリーは午前中に穏やかに終了し、恵美委さんと私は表参道のアンデルセンまで歩いて行って、パンを買っランチとしました。

おいしいベルギーワッフルをふるまってくれた恵美委さんは、午後からの伝授について静かな口調で説明を加えてくれたのを覚えています。

 

セカンドディグリーの初めのシンボルと真言の伝授は、とても力強いもので、瞑った目の裏にいくつものジオメトリーが浮かんでは消え、浮かんでは消えていきました。

 

2つ目のシンボルと真言の伝授の最中には、青い作務衣を着た小柄な男性が恵美委さんといっしょに伝授を行ってくれていると感じたので、伝授が終わったあとに、「今、一緒に伝授をしてくれた男性は誰ですか?」と尋ねたところ、そんな人はいないと告げられ、不思議な面持ちになりました。

 

明らかにレイキと関連するなんらかの存在が介入していたと思いますが、それが誰で、なぜ、私のところに来てくれたのかは、定かではありません。

 

最後に、セカンドディグリーの3つ目のシンボルと真言を伝授されている間、私は身体に埋め込まれていた無念な死の痛みを思い出していました。

 

不屈の人生を送った、男性だった私の人生は、処刑によって閉じられるはずだったのですが、屈強の身体をもつために死んでも死にきれない苦しみを長時間にわたって感じざるを得ず、激痛が怒りと悲しみを助長し、恨みと呪いにまで発展するような時間を過ごしていたことが思い出されてしまいました。

 

なかなか解放することのできない感情が過去世から身体の中に埋め込まれているということを体感した私は、少々愕然としていました。

誰のことも憎んだり呪ったりしていないと思っていた自分自身にも、そういう感情が奥深く込められていたこと。しかし、だからこそ、その感情はこの人生で私が何をするべきか、何をしないべきかを明確にしてくれるものであるとわかったのです。

 

しかし、悲しみに凌駕されていてもしかたありません。

伝授が終了し、私は青山から表参道へ、そこから原宿へとまっすぐの道を歩き、カフェによって少し刺激の強いコーヒーをオ―ダ―し、しばしの間、打ちひしがれた感情を感じ切る時間をもちました。

 

しかし、戦士だった私の傷は深くうづき、その後21日間の浄化期間を通して、自己トリートメントをすることで、次第に薄れて行きましたが、好転反応と呼ばれるこのような反応の強さに驚きを隠すことができませんでした。

 

サードディグリー

 

21日間の浄化期間の後、私のセッションを受けにくる人たちを相手に、次々にレイキトリートメントの練習を重ね、述べ60人に達したところで、サードディグリーを受けることにしました。

シンボルも真言も、しっくりとし、所作もスムーズに行えるようになり、レイキのことが書かれた本を片っ端から読みました。

と言っても、当時、出版されていたレイキの本は片手ほどの数しかなかったので、レイキの発祥や歴史についてなかなか知ることができませんでした。

 

本の著者にティーチャーディグリーの伝授を受ければ、もっと様々なことが分かるのではないかと思い、ティーチャーになる決心とともに、望月氏のヒーリングシステムのティーチャーディグリーを受講することにしました。

 

この頃、時空を超えるシンボルと真言の力が効果を表したのか、イギリスに移住する方向へと私の人生は動き始めていたために時間が押し迫っており、事情を理解してくれた望月氏は、たった一人でティーチャーディグリーを受けることを承諾してくださいました。

 

本には書かれていない、さまざまなことを尋ね、さまざまな憶測や可能性のある見解を得たものの、明確に、レイキとは何なのかを特定することができず、「何なのか?」は、一人ひとりの生徒にその答えを託されているのだと強く感じました。つまり、レイキの伝授を受けたら、そこからが学びの始まりなのだということを私は悟りました。

 

私は、そんな神秘にふれている。

私は、そんなものが欲しかったのだ。

と、思うと同時に、レイキに対する猜疑心や懐疑的な気持ちは、消えてなくなり、それどころかもっと学びたいという気持ちに変化していることに気づきました。

 

ティーチャーディグリーの受講日には、好転反応が受講前に起こり、時間の逆転を体験しました。この時は、発熱し、やっとのことで受講しに行ったことを覚えています。

 

 

伝授する日々

 

私がレイキティーチャーになったら是非受けたいと言ってくれていた方たちが、次から次へとファースト、セカンド、サードを受けてくれたために、異例の速さで、ティーチャーディグリーを伝授する日を迎えました。

ちょうど、イギリスに旅立つ数日前のこと、11人の人たちを一気にティーチャーにしました。

いつまた日本に帰って来れるのかもわからなかった私は、とにかく、手渡しておきたいものは、手渡すべきであると強く感じていたのです。

 

1997年にティーチャーになり、その年の10月にはスーツケース一つで息子たち2人とイギリスへ渡り、そこで待っていた現在の夫との生活を始めたのですが、この時ほど、レイキを自分たちのために使いまくったことはありません。

英語が話せない息子たちを、イギリスの学校に入らせる時、家を見つける時、必要な人と出会いたい時、ほぼ毎日、必要だと思われることを引き寄せるために、アイディアを振り絞り、欲しいものを特定し、レイキをかけては引き寄せて、体感した上で受け取るということを繰り返していました。

 

そうしている内に、私が出会いたいと思っていた方たちの方から、ある日突然連絡が入って来たのです。

ロンドン在住の駐在員の奥さんたちが、子育てをする際の力添えに、レイキをぜひ学びたいとのことでした。

最初にレイキを伝授した人から、どんどん広まって、ロンドン在住の日本人の方たちのクラスが2つできあがり、約3年間、レイキやオーラリーディング、SI-V(シンプル化インタヴュー)を行いながら、ロンドンと私の住まいのある北西イングランドの往復を重ねました。

 

その間、オーラソーマのアドバンスコースまでを学んでいたのですが、そこからイギリス人やその他の国の人たちのセッションをする機会も増え、レイキで展開させたスピチュアルなギャザリングは、次の段階へと向かい始めました。

 

2000年には再び日本へ

 

21世紀の鴇の声を聞いてから、日本でセッション、ワークショップを開くために、日英往復生活が始まりました。

イギリスで知り合ったレイキティーチャーたちとの交流の中で、1997年にインドで出版された元米軍のレイキティーチャー、ラ―マ・ヤッシェが書いた「メディスンダ―マレイキ」という本が不思議な縁で手に入りました。

 

その内容を検証すべく、アメリカとメールのやり取りをしながら、信ぴょう性の是非を問いました。

彼は、日本の習慣をあまり知らないようでしたが、本には明治時代の様子がよく書かれており、内容はすべてとは言えないものの、臼井甕男先生の日記の一部であると私は感じました。

中野など、私が生まれた場所に近い街の風が香るような感覚があったのです。

 

そこで、私は、レイキのテキストをココからの情報を交えて書きなおし始めました。

 

この本から空海との関連をみつけたことは、真言の存在に合致するので、とても有意義なことだったと思います。

 

マンチェスターのボディ マインド スピリットフェスティバルや、1999年の日食にウォールコーンのヒーリングフェスティバルに招待されてレイキやリーディングを行ったことなど、また、地元のレイキティーチャーたちと、明治天皇の御製を読み、レイキの奥の深さを感じてみるなど、経験に経験を重ね、レイキ伝授を重ねて参りました。

 

2000年の一時帰国からはじまってとうとう12年もの月日がたち、ティーチャーになってからは15年もたちました。

 

よく、こんなに長い時間、かかわってこれたものだと感心するとともに、レイキそのものが持つ、波のような流れをつかんできたので、レイキを欲するひとたちの波が起こるタイミングも、かなりつかめるようになって来たと思います。

 

次なる波が起こりそうな気配がひたひたとやってきています。

 

今度は、あなたにお会いできることになるのかと思うと

背筋がなんだかしゃきっと伸びます!

 

レイキと私のことを長々とお読みくださり、ありがとうございました。