失われた古代文明からの贈り物・靈氣

臼井甕男先生が再発見したと言われている霊気のもとは中国の恵果阿闍梨から伝えられた仏教を基に神仏混合を広めた弘法大師=空海に端を発するものと言われています。

 

恵果阿闍梨に伝わった古代仏教は、釈迦牟尼が出家し悟りを開いた時よりも、更に遡る時代にチベットの山奥にすでにあった教えです。

 

なぜ、チベットの山奥に、古代仏教のもととなる智恵と方法が存在したのでしょうか?

今日のように、気候の激しい変化を体験している私たちの世代が想像できることは、山の高みに移動しなければならないほどの天変地異や洪水が起こった時代に、後世の人々に伝えるべく、先人達が波動伝授をし続けたためではないかと私は想像します。

 

その証拠はどこにもありませんが、オーパーツと言われるありえない物体が、何万年もの昔の地層から発見されるたびに、今では完全に忘れ去られてしまった文明が、かつて存在したはずだと思うたびに、その物体を作った人々は、高度な文明の中に生き、高度な方法で彼らの知恵を末裔に伝えるべく生命をかけたのではないかと思いをはせます。

 

 

 

 

 

恵果阿闍梨 、俗姓は馬氏、長安の昭応で生まれ、大興善寺の(故)不空三蔵について密教を伝え受けて弟子となった。恵果和尚は八歳のとき、初めて青龍寺の曇貞和尚に伴われて大興善寺の不空三蔵に会った。 不空は、恵果を一目見て「この子供は立派な密教の阿闍梨となる器量をもっている」と讃嘆し恵果を実子のようにいつくしんで教育した。 不空は三十余年の長きにわたって灌頂の壇を開き、入壇した弟子の数は多く二千余名になるが、しかし修行が成満して金剛界の伝法灌頂を受け阿闍梨位についたものはたった八人しかいなかった。恵果和尚は、唐の代宗・徳宗・順宗から尊崇され、三朝の国師と称される。

オーパーツが示す高度な古代文明

霊気は失われた文明と言われる、アトランティスや、ム―、レムリア、あるいは別の惑星に住んでいたかもしれない私たちの祖先からの大切な遺産であると、これもまた立証することはできませんが、霊気のアトゥンメントをするたびに、私は感慨深く、そう感じています。

 

きっと、世界中の多くのレイキティーチャーが、同じことを感じているのではないかと思います。

 

霊気は誰かから伝授されるものではなく、本当は私たちの遺伝子の中にすでに存在しているもので、自然に使えるようになる人もいれば、外界からの刺激でスイッチが入る人もいるのだと思います。

 

古代チベットは、ですから、霊気の発祥の地ではなく、霊気を保存し、連綿と伝えてきた場所ではないかと私は思っています。

そして、古代仏教の中に秘められ、東側へは空海を通じて極東の地、日本へと。

西側へは中東のエルサレムで生まれたジーザス・クライストを通じて、更にそこからマグダラのマリアによって秘伝としてテンプル騎士団やその関連の人々へと伝えられ西側諸国へと秘密裏のうちに広がっていたのではないかと思います。

 

洋の東西へと広がった霊気は、家庭療法、民間療法として母親の手によって子供たちへと伝わっていったのではないでしょうか?

お腹が痛ければお腹をさすり、良い子良い子と頭をなでて、痛いの痛いの飛んで行け、ちちんぷいぷいと呪文を唱えて子供たちの安全を守る母親の愛の手が、霊気という名をもつまでもなく、自然な手当て療法として伝えられてきたのではないかと思います。

 

そのように、自然な形ですでにあったものの力の秘密をしたためた書が、京都の古本屋に二束三文で売りに出されていたところを見つけた19世紀のヒ―ラ―臼井甕男先生が、探し求めていた空海の癒しの書であることを見つけた時から、霊気のもつ力の秘密は、表の世界へと引きずり出されました。

 

そして、その力の秘密の3つの段階が、カバラのヤコブの階段を昇るがごとく、肉体から感情、感情から精神、精神から魂と、時空を超えた次元へと上昇している様を、愛弟子たちに、日常の暮らし方や物事の考え方と照らし合わせながら道場として教え、そして施術として人々に施していく際に、19世紀の日本の文化にあった手当て療法として、樹立されて行きました。

 

臼井甕男先生はレイキを現代へ橋渡しをした

岐阜県で生まれた臼井甕男先生の周囲には、当時、大霊堂などの新興宗教や腸能力開発のための組織などがあったと言われています。

古代文明に端を発すると思われる霊気は、そのような文化的下地の中で、多分、修験道的な密教や、陰陽道などの影響を受け、加持祈祷のような側面をもちながらも、西洋化が進む明治の気風の中、西洋医学の形式を兼ね備えて、一般に通用する施術となり発展していったのだと思います。

 

その霊気の施術は、陸地を離れて長く海上を航海する海軍の軍人たちに信奉され、重宝がられました。また臼井甕男先生の人徳は、海軍士官たちの心をつかんでいきました。

 

地震大国である日本に大正10年に起きた関東大震災では、霊気により多くに人たちが介抱されたと、中野の西芳寺にある臼井甕男先生の墓碑には海軍の牛田少佐の言葉が刻まれています。

 

関東大震災のころに生まれた人たちが第二次世界大戦に行く頃には、先生の弟子である林忠次郎先生が霊気を行っていたそうですが、この先生がハワイから養生に来た日系二世の女性高田ハワヨさんに霊気を預け、霊気を日本以外の国に温存したところから、次なる動きが始まりました。

 

アメリカの言語学者が高田女史の施術や真言に目をつけたところから、霊気の存在はあまねく世界へと広がり始めました。

ハワイからアメリカ本土へ、そこからカナダ、オーストラリア、欧州、インドなどへとニューエイジムーブメントの流れに乗って、システマティックなヒーリングの方法としてどんどん広まって行ったのです。

 

そして

極東の国、我らが日本へとドイツ人ヒ―ラ―が持ち込ん来ました。

霊気の逆輸入により、霊気が再発見された日本へと帰還したのです。

 

勤勉な日本の癒し家たちや研究者の手によって、霊気は日本中に広められていきました。

そして、臼井甕男先生の教えを静かに守りながら伝授を繰り返していた学会や、道場なども再び脚光があたり始めました。

 

しかし

海外を60年以上も旅してきた霊気は、人々の集合意識と強く結び付き始めたために、臨界点をに達し、更なる可能性に到達しはじめました。

時空を超え、シンクロニシティを続発させながら、アセンションや次元シフトと呼ばれる現象を支える波動となり、ネズミ算式に霊気のアクティベートが起こっています。

 

多分、このような時代が来ることをもくろんで、古代に失われた文明の賢人たちは、霊気を高い山の中で守り、時が来るのを待ち、適所に生まれた適材に伝授しながら、文明の起源の秘密が開かされる方向へ向かうようにしたのではないでしょうか?

 

その意図、その思いを受け取るべきは、失われた文明の魂の末裔として、今この世界に転生したと、奥深いところで薄々と言葉にならない感覚を持ち続けている人たちではないかと思います。

 

それは

 

かすかな感覚。

 

霊気が内側で目覚めようとしている感覚。

 

気になり始めたら、居ても立っても居られない感覚。

 

本来の自分に戻るための道を見つけた感覚。

 

もしも、あなたが、その感覚を少しでも感じ始めていたら

心惹かれ、信頼できる霊気ソサエティと連絡をとりあい、

是非、霊気伝授を通して、ご自分の中にすでにある霊気をアクティベートさせるとよいと思います。